
自立した子供を育てるために、親は家庭でどのように接するのがよいのか
基礎的な「生活力」のない子供の親御さんは、
だいたいにおいて、同じような性向を有しています。
それは、子供との距離感がうまく保てていないからです。よくあるのは、自分の子供のことを、いつまでも幼児のように考えていて、小学校に上がっても鉛筆を削ってあげたり、明日学校に着ていく服まで揃えておく親御さんです。往々にして、女子の母親に多いケースです。
過度に心配し、何をするにも先回りして手出しをし、生活力のない子供を育てる親の典型的なパターンといえます。
そういうふうにして、親が過分に子供に関与していると、いつまでたっても子供は、自立した人間にはなれません。いわゆるスポイルされた子供になります。
子供の前を常に先導し、先回りして絨毯を引いてまわる親になってはいけません。我が子がつらい目にあうのは可哀想、という過保護な気持ちでいる間は、子供は自立できないからです。
傍観するのはつらいかもしれませんが、イバラの道をあえてひとりで行かせて、痛い目を経験させるというのが、子供のことを正しく思いやれる親のあり方です。
子供は子供で、実際にモトイキで歩き、時には転んで怪我をしてみて、少しずつさまざまなことを経験値として蓄積していきます。そこでは、痛い目にあうというのも、重要な経験なのです。でないと、転ぶ時の危険度が、いつまでたってもわからない、頼りない子供に育ってしまいます。
では、親と子供との接しかたは、どうあるべきなのでしょうか
できるだけ、先回りの絨毯はひかず、小さな時から、自分のことは自分でできるように習慣付けてあげるのが、正しいあり方です。
たしかに、子供だけに任せていると、最初のうちは何度か学校で忘れ物をして、先生にしかられて、つらい思いをするものです。でも、それがあるから、次の日からは、気をつけるようになるのです。「人間、痛い目にあわないとわからない」と昔からいいますが、まさにその通りなのです。
こうした接し方ができず、いくつになっても親が先回りをして学校の準備をしていると、子供の自主性は育まれません。
子供に過干渉する親の中でも、さらに問題なのは、子供の先行き(人生コース)まで用意して、自分の思い通りにコントロールしようとする親です。そういうタイプの親御さんは、用意していた道がだめになると、じゃあ次はこっちのコースという具合に、何から何まで、先回りしてお膳立てをしようとします。
それでは、いつまでたっても我が子(自分だけの子)であって、社会の子、地球の子にはなれません。お勉強だけできても、真の生活力がなければ、社会人になって、この時代を生き抜いていくことなどできません。
子供との距離感を適度にとるというのは、一歩引いて、第三者的な目で我が子を見ることができる冷静さがあるかどうかということです。
我が子を客観視する力が親にあるかどうか、すなわち、我が子の長所と短所をちゃんと区別できているかどうかは、子育てにおいて、非常に重要なポイントです。
とりわけ重要なのは、短所の扱い方です。「これはこの子の悪いところだから、いまのうちに治しておかないといけない」と短絡的に考え、手を出したり、きつく叱ったりしていないでしょうか。
親の目から見れば摘んでおくべき短所が、実は子供にとってのユニークな特色であったり、存在意義であることが多いのです。
よく、「あの人は一癖も二癖もある」といいますが、これは言い換えれば、「面白い味のある人」という意味も含んでいます。
親から見れば単なる短所かもしれませんが、実はそれは、子供が持つユニークな癖なのかもしれません。それもこれも全て、親の勝手な思い込みで、下手に修正してまわると、気がつくと我が子は、なんの面白みもない「普通の子」になっていたということになりかねません。
ですから、子供が好きなことは、できるだけ伸ばしてあげることが大事です。私が教えている生徒さんの中には、漫画家になりたいという夢を持っている子や、昆虫が大好きという子など、話していて楽しい子がたくさんいます。
彼らにとって、そういう趣味の世界は、学業で疲れた時に、心身を癒やしてくれる、内面世界の役割を果たしています。学業や受験の邪魔になるだけということで、取り上げてしまう前に、少し考えてみる余裕をもってほしいものです。