「教育工房あ〜く」はどんな塾? 保護者さんの声
保護者さんの声

入塾のきっかけ
岡田先生をはじめ、中川先生、広芝先生には本当にお世話になりました。
長男の裕亮を帝塚山学園の幼稚園に入れそのまま小学校に進学させたのですが、大阪から嫁いできた私には奈良の状況がまったく分からず、同じクラスのお母さんにお聞きしたのがこの塾の噂でした。
当時は塾名も「4時からの学校」で、幼児教室や小学校低学年クラスの「こどものアトリエ」があり、長男をそのコースに入塾させたのがお付き合いの始まりでした。
次男の宏彰はまだ3歳ほどでしたが、兄を迎えに来た時一緒に遊ばせていただいたことを思い出します。
長男の将来を決めた塾長の言葉
小学校低学年の頃は桜井先生、道嶋先生にお世話になり、学年が上がるにつれて広芝先生、岡田先生、中川先生にお世話になりました。
長男は何とか英数コースに進級できましたが、学校の成績はあまり芳しくなく、親の方が音を上げそうになりましたが、いつでも「あ〜く」の先生方は温かく見守ってくれました。
特に高校2年生のとき最終的な進路決定と教科選択を出さなければならないとき、学校から「君(長男裕亮のことですが)は物理に向いていないから生物を受けるように」と言われました。
本人は「生物は単純暗記なので、ぼくには向いていない」と怒っているし、どうすればよいのか困っていたときに岡田先生に相談すると、いとも簡単に「学校の先生は裕亮くんの特徴を掴んでいないかもしれません。学校で受けられないなら、塾で面倒を見ましょう」と言って下さって、塾だけの物理の授業にすべてを賭けることにしました。
すると高校3年生ごろから模擬テストでも物理の成績が一番安定するようになってきました。お蔭で大学に入ってからも物理だけはクラスで上位の成績を取ることができるようになりました。
あのときの塾長先生の決断がなかったなら、長男裕輔の将来はどうなっていたのかと思います。
子どもの挫折から親自身も救われた
一方次男の宏彰は身体を動かすことが好きな男の子で、サッカーに明け暮れる日々でした。
勉強の方もまずまずの成績だったので、英数コースのS理クラスに進学することができましたが、中学校が始まってすぐに学校の進度に付いていけず登校拒否になりかけたことがありました。
そんな時でも岡田先生は「長い目で見ましょう。今回が彼にとって人生で初めての挫折です。周りが焦っても、本人が挫折を乗り越えなければ何も始まりませんから」と言ってやはり見守っていただきました。
こうした塾長先生のおおらかな対応が無ければ、私自身が子育てのどこかでぷっつりと心の糸が切れてしまっていたかもしれません。
何とか今春本人が一番行きたかったスポーツ科学部の方へ入学させていただくことができました。毎朝元気に大学へ通学しております。
小学校低学年から通わせて本当によかった
二人の男の子を小学校の低学年から同じ塾に通わせ続けるのは、賭けに近いものがあるかもしれませんが、「4時からの学校」とその後塾名を替えた「教育工房あ〜く」に子ども達を通わせて、悔いがないどころか本当によかったと思っております。
子どもたちが成長していく過程で、ほぼ毎日のように我が子の成長を見守っていただきましたので、これからも塾の方々にご相談をしたり、結婚式の披露宴に出席していただいたり、お付き合いをさせていただきたいと思っております。
お世話になったいろいろな先生方に改めて御礼申し上げる次第です。
本当にありがとうございました。
平成25年5月28日
伴井 裕亮・宏彰の母より