
教育者としての「思いと志」―塾教育を通じて私がやりたいこと
私は幼少時より、「閉所恐怖症」というパニック症に悩まされてきました。大学を出て大手に就職はしたものの、満員電車で通勤ができないという致命的な問題に直面し、サラリーマン生活を諦めざるを得ませんでした。
サラリーマンを断念した私は、広告心理学を勉強したくて、米国のカリフォルニア州立大学の語学センターに学び、資格を得て、カナダのトロント大学に入学、そこで社会行動心理学を受講しました。2年後の卒業時にはカウンセラーの資格を取って帰国しました。
帰国後、短大の講師を経て受験教材出版社に入り、その後、大手塾企業で働いていましたが、ある時、現場の塾講師に欠員が出たため、急遽私が代役を引き受け、算数を教えることになりました。この時、実際に子供たちと不得手な科目と接して、勉強を教えることの難しさや楽しさ、やりがいを知り、つまるところ「教育は現場がすべて」なのだということを実感しました。
この経験を経て、自分が大手塾で「システム教育」に携わっているにもかかわらず、むしろ心はその逆になっていきました。小さな塾で子供たちと直にふれあい、一人ひとりの子供にぴったりと寄り添うような教育方法を模索したい、と思いつめるようになったわけです。
なぜなら、実際に現場で子供たちと接していると、大手塾のシステマティックな教育方法ではあまりに画一的で、子供たち個々人の持って生まれた個性や能力が、置き去りにされると感じていたからです。
受験勉強に疑問を感じない、素直な子供たちばかりであれば、そういった効率的でパターン化された教育法がよいのかもしれませんが、この年代の子供たちは、反抗期のさなかにあり、さまざまな問題や矛盾に直面し、日々精神的に悩み苦しんでいます。そういった子供たちに見合ったやり方で手を差し伸べ、教え導くことも、塾教育が担うべきことではないのかと、私は思いました。
そこで私は、「子供たちと直に接する教育現場」にこだわって生きていこうという志を立て、奈良で小さな塾を始めることにしました。その根底には、大手塾の「システム教育」にはなじめない子供たちに、積極的にコミットしていきたいという思いがあったからです。
コラムを書くにあたり
教育に携わって40年近くたったいま、教育の目標とは何かを、私なりに整理してみたいと思い、このコラムを書くことにしました。
塾教育が目指すべき目標とは、子供たちに、「学び方」と同時に「生き方」を伝えることにほかなりません。それが、現代社会に生きる子供たちにとって、最も大事なことだと考えるからです。
猛烈な勢いでグローバリズムが進む現代社会は、混沌とした情報があふれ、不透明で不確定な物事によって支配されています。それゆえに現代人は『不安』という病を、根源的に抱えながら生きています。
この不安な状態は、子供たちも同じです。常にまわりを見回して、自分がどこへ向かうべきなのかに迷い、進むべき確かな行き先を示してくれる目印や旗印を、ずっと探している状態です。不確かな時代を生きるいまの子供たちは、この漠然とした不安を解消してくれる、「よりどころとなる何か」を希求し続けているのです。
私はこの「教育コラム」を通じて、そういったなにかしらの「不安」抱えている親御さんや子供たちに、「心のよりどころになるもの」を提示していければと思っています。